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ブンデスリーガの消えた逸材たち。天国から地獄へ…才能を開花させられなかった5人の選手

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

ドイツ→ブラジル→豪州の数奇なキャリア

アレクサンダー・バウムヨハン
【写真:Getty Images】



アレクサンダー・バウムヨハン(ドイツ)

生年月日:1987年1月23日
現所属クラブ:シドニーFC(オーストラリア)

 シャルケの下部組織出身で、トップチームデビューを果たした後の2007年1月にボルシアMGへと移籍し、2008/09シーズンに初めてレギュラーの座を射止めて一気に評価を高めた。そして2009年夏、バイエルン・ミュンヘン移籍を勝ち取る。

 ところがドイツ最強クラブではほとんど出番を得られず、わずか半年で古巣シャルケに完全移籍で出戻りを果たす。バイエルンが認めた才能は花開くことなく萎んでいってしまうのか。心機一転慣れ親しんだ環境で再出発を誓ったはずだったが、シャルケでもなかなか出場時間を伸ばせないまま2年半が経ち、2012/13シーズンはドイツ2部のカイザースラウテルンへ移籍することとなった。

 1年契約を結んだ新天地ではホッフェンハイムとの昇格プレーオフでゴールを決めるなど、リーグ戦27試合に出場して6得点11アシストと結果を残す。そして1部のヘルタ・ベルリンへと個人昇格を果たした。ドイツでのキャリアが暗転したのは、主力として活躍した2015/16シーズン終了後だった。

 契約延長を勝ち取ったばかりだったバウムヨハンは、新任のパル・ダルダイ監督の構想から完全に外れ、ウィンターブレイク中のキャンプには参加すら許されない状態に陥ってしまった。ひとまず夏まで苦境に耐えたのち、新天地に選んだのはブラジルだった。

 妻の母国で新たなキャリアを築くことを夢見てブラジルに渡った。ところがそこでも苦難が待ち受けていた。労働ビザの発給が遅れてなかなかプレーを始められず、自分を信頼してくれていた監督も解任され、しまいには右手を骨折して、所属するコリチバもブラジル全国選手権1部から2部へと降格してしまう。

 結局、2018年1月に移籍したヴィトーリアでも満足いく活躍を見せられず、ブラジルを去ることになる。欧州と南米で失意のどん底を味わったバウムヨハンが次に赴いたのはオーストラリアだった。ウェスタンシドニー・ワンダラーズのマルクス・バッベル監督から請われる形でAリーグ挑戦を決めた。

 同胞監督の下で1年間プレーしたバウムヨハンは、2019年夏に近郊のライバルクラブ、シドニーFCへ“禁断の移籍”に踏み切った。ウェスタンシドニーのサポーターが最も忌み嫌う宿敵が、シドニーFCなのだ。それでも不遇のキャリアを送ってきたバウムヨハンにとって、ドイツよりもサッカーのレベルが多少落ちたとはいえ、オーストラリアが安住の地となったのかもしれない。ユニフォームの色を赤黒からスカイブルーに変えても、リーグ屈指のアタッカーとして変わりない存在感を放っている。

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