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Jリーグ 2か月前

アルビレックス新潟に宮本英治が必要な理由。相手を苦しめる「ボディーブロー」の価値、JFL→J1で得た知識と身体【コラム】

シリーズ:コラム text by 加藤健一 photo by Getty Images

JFLからスタートした宮本英治が積み重ねたもの



 1年目から宮本はJFLで30試合(32試合中)に出場し、J3昇格(Jリーグ入会)に貢献すると、翌シーズンはJ3リーグ全試合に出場してチームはJ2昇格を果たす。さらに昨季もJ2リーグで欠場したのはわずか1試合。JFLから始まった宮本のキャリアはわずか3年で国内最高峰の舞台にたどり着いた。

「大学で一緒にやっていた選手がJ1やJ2に行ったので、当時は僕も行きたいと思いましたけど、行った先で苦労する選手もいたり、デビューしてすぐ活躍できる選手もいますけど、長続きしない選手もたくさんいた」

「自分は身体も細かったので、焦らず着実にいわきで身体づくりから始めて、サッカー選手として戦える知識や身体を身につけることができた。それが年々積み重なって、カテゴリーも1つずつ上がって、非常にいい状態でここまで来れたと思います」

 サガン鳥栖との開幕節は「わくわくする部分と不安な部分があった」と明かしたが、「感触としては意外とやれる」と感じていたという。その言葉通り、堂々たるパフォーマンスでチームを支えているのは、新潟を観ている人たちの共通理解だろう。

 サッカーに限らず、進路選択はキャリアを左右する重要な決断であり、正解はない。宮本は1998年生まれで、サッカー的には東京五輪世代に含まれる。たとえば、同学年の田中碧は川崎フロンターレの下部組織から直接トップチームに昇格し、20歳になるプロ2年目におおきく飛躍した。伊藤敦樹は流通経済大学を経由して浦和レッズに帰還し、1年目からJ1の舞台で活躍している。いろんな選択肢があるが、正解はない。

 結果論かもしれないが、一見遠回りに見える宮本の進路選択は正解だった。宮本自身の努力がそれを正解にしたと言った方がいいのかもしれない。いわきFCでは常に試合に出続ける中で、J1で戦える心技体が身に着いた。一般的には遅咲きという言葉が当てはまるのかもしれないが、宮本は1段ずつ階段を上がり、さらにレベルの高い選手へと成長していく。

※試合のスタッツはデータサイト『Sofascore』から引用

(取材・文:加藤健一)

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