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日の丸をつけるということ――。W杯に出られなかった時代の証言

text by 海江田哲朗 photo by Tetsuro Kaieda

当時の日本代表は無報酬。日の丸のために気持ちがある人しかできなかった

 森は何とか選手たちの労をねぎらいたいと考え、サッカー協会の専務理事だった長沼健(08年死去)に相談を持ち掛けた。

「頑張ってくれた選手たちを温泉に連れて行ってあげようと思います。お金の心配は要りません。つきましては、何か記念になるものを協会から出していただけませんか?」

 長沼は親分肌の人物として知られる。森の意図を汲み取り、「分かった。できる範囲でやってみよう」と約束した。

 長沼はサッカー協会の個人登録制度やオフィシャルサプライヤー制度を導入し、慢性的な赤字体質から脱却させつつあった。それでも資金は潤沢とは言えない。その中でどうにか工面しようとした。

 ところが、記念品となるとなかなか名案が浮かばなかった。「いまさら楯を作っても絵にならない。だいたいどんな文字を彫ればいいんだ」と困った挙句、結局、各選手たちに10万円の報奨金を出すことにした(出場数によって多少上積みがあった)。

 森は準備を整え、選手たちに伝えた。

「みんなで熱海の温泉宿に集まろう。家族を連れてこいよ。彼女でもいいぞ。ただし、すまんが足代は自分で持ってくれ」

 現在も森ファミリーのOB会があり、年に何度か集まるそうだ。なお、この時に利用した西熱海ホテルは06年に営業を終了している。

「あの頃は日本代表の誰もが無報酬でやっていた。選手は休みの日に代表に引っ張られ、そこで一銭も稼げない。そういう時代だからさ、日本のために、日の丸のために、その気持ちがある奴しかできなかった。気持ちで1つになるしかないんです。そういった意味ではいまの方が難しいだろうね。個人と組織、それぞれに打算的な要素が絡んでくる」

 近年、森は病気を患い、声帯の大部分を手術で失った。声は小さく、絞り出すように日本代表への思いを語る。

「南アフリカに行くのは無理だな。ヨーロッパに行って、テレビで見ようか(笑)。少しでも代表の近くに行って、応援したいよ」

(文中敬称略。原稿執筆2010年2月)

【了】

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