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Jリーグ 9年前

東京のエースから日本のエースへ。若きアタッカー武藤嘉紀の原点

昨年、大学生Jリーガーとして注目され、瞬く間に日本のトッププレーヤーとしてのぼりつめた武藤嘉紀選手。少年時代に武藤選手の指導にたずさわったコーチから話を聞くと、武藤選手は少年時代から洗練された選手だったという。(『ジュニアサッカーを応援しよう! Vol.37夏号より一部転載』)

text by 元川悦子 photo by Getty Images

小学生時代の恩師が語る武藤嘉紀

東京のエースから日本のエースへ。若きアタッカー武藤嘉紀の原点
武藤嘉紀【写真:Getty Images】

 武藤がサッカーを始めたのはバディサッカークラブ世田谷に入った4歳からだったが、世田谷区松丘小学校2年の時にFC東京・調布柴崎スクールに加入。小5で選抜クラスに入ると、練習環境に変化が生じた。

 最初の1年間は味の素スタジアムに隣接するミズノフットサルプラザ、6年のときは完成したばかりのアミノバイタルフィールドでのトレーニングになったのだ。練習日も金曜日から水曜日へとシフト。武藤少年は週1ペースで自ら電車で通っていたようだ。

 この選抜クラスを指導した1人が、2001~2009年にかけてFC東京のアカデミーで働いていた田部学コーチ(現札幌大谷高校監督)である。

「よっち(武藤)は選抜クラス発足2年目に入ってきた選手。当時は4~6年の3学年が一緒に練習していました。人数は全体で20人くらいで、1つ上に重松健太郎(現町田ゼルビア)がいました。

 同学年には3~4人程度とかなり少なかったのですが、いい仲間に恵まれていましたね。彼らは『ちびっこギャング』みたいにあの手この手を使って、僕らコーチをやっつけようと向かって来たのを、よく覚えています(笑)。

 自分たち指導者側も子どもたちにやる気をもたせるため、ドリブル練習にしてもジグザグのコースを作るとか、ボールをカゴに入れるとかさまざまな工夫を凝らしたのですが、よっちは目標を達成するまで懸命に食らいついてきた。

 そういう貪欲さと、都会っ子らしい洗練された明るさもあって、本当にバランスのいい子だなと感じましたね」

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