中村憲剛の覚えたデジャブ感。かつてのフロンターレの姿
アディショナルタイムに入る直前には、長谷川が相手の戦意を奪う3点目を叩き込んだ。スピードを武器にするアタッカー陣を後方からのパスで操りながら、中村はちょっとしたデジャブを覚えていた。
「ここまでカウンターをバンバン仕掛けるウチも珍しいけど、だいぶ前はウチもそういうチームだったので。ちょっと昔っぽかったけど、それを思い出したのも僕だけだったかな」
2005シーズンにJ1へ再昇格したフロンターレは、司令塔の中村が繰り出す縦パスから、ジュニーニョ、鄭大世(現清水エスパルス)らFW陣が敵陣へ迫る典型的な堅守速攻のチームだった。
「往復ビンタの張り合いなら、どこのチームにも負けない」
当時の中村が寄せていた絶対の自信が、2006、2008、2009シーズンのJ1の2位、2007、2009シーズンのヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)準優勝の原動力にもなった。
それでも、タイトルには手が届かない。時間は流れて、昨シーズンまで4年半指揮を執った風間八宏前監督(現名古屋グランパス監督)のもとでボールを保持し、相手を握り倒すスタイルを体得した。
ヘッドコーチから昇格し、今シーズンからフロンターレを率いる鬼木監督は前任者の遺産を継承。同時に攻守の切り替えの速さや球際での激しさを注入させながら、チームをさらに進化させてきた。
ベガルタとの第2戦をたとえれば、2点差をつけるまでがいま現在の、奈良が退場してからは2000年代のフロンターレだった。図らずも後者を体現できた価値に、歴史を知る中村は言葉を弾ませる。
「一人減ったから負けました、ではなくて、一人減ったけどチームの引き出しが増えて勝ったというのは、今後のチームにおいてすごく大きなこと。本当に偶然だったかもしれないし、本来ならそう(堅守速攻型に)したくないけれども、逆に引き出しを自分たちで作れたことがね」