2006年Jリーグ。中田英寿引退と香川真司プロ入り。史上最強の日本はW杯惨敗、懐かしのQBK【Jリーグ平成全史(14)】

2019年05月01日(Wed)7時00分配信

シリーズ:Jリーグ平成全史
text by 編集部 photo Getty Images
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主な出来事

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中田英寿が現役を引退した【写真:Getty Images】

 2006年7月3日、サッカー界はもちろん日本中に衝撃が走った。中田英寿が自身の公式HP 上で現役引退を表明したのだ。ブラジル戦後、ピッチ上で仰向けに寝転び、天を見つめていた中田。当時まだ29歳と早すぎる引退に誰もが驚いた。もっとも、早いかどうかは本人が決めることであり、日本に世界トップレベルを見せてくれた事実は揺るがない。

 10代の頃から世代別の代表で戦い、ベルマーレ平塚では早々にエースへと成長。A代表ではデビュー戦から違いを生み出し、あっという間に不可欠な存在となった。ワールドカップの扉をこじ開け、セリエAに挑戦しスクデットまで獲得した。時代は令和へ移行したが、いつ振り返っても中田英寿の偉業は不滅である。

 偉大な人物が現役を退き、日本代表も新たなスタートを切った。新たな監督はイビチャ・オシム氏。日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンが会見でうっかり名前を出してしまったことで発覚した。当時オシム氏はジェフユナイテッド市原・千葉の監督を務め、結果を残していた。しかし、最終的に日本代表監督に就任することとなった。

 日本代表でも考えて走るサッカーを標榜。何色ものビブスを使ったトレーニングは日本代表選手でさえも難解だったようだが、オシム氏の指導で選手たちは成長していった。しかし2007年11月、脳梗塞で倒れてしまう。一命は取り留めたものの、監督を続けることはできなくなった。「たられば」に意味はないが、あのままオシム監督体制が続いたとしたら――。そんなことを思わせてくれる名将だった。

 長く日本代表の10番を背負う香川真司がプロ入りしたのが2006年。まだ高校生だったがC大阪に入団した。翌2007年から出場機会を得るようになり、飛び級でU-20ワールドカップに出場。当時はDF登録でサイドバックやボランチも務めた。アタッカーとして地位を築くのはもう少し先のことである。

 また、内田篤人が鹿島アントラーズに入団したのもこの年。当時の監督だったパウロ・アウトゥオリに評価され、クラブ史上初となる高卒ルーキーでのリーグ開幕戦スタメン出場を果たした。

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