日本代表、背番号4の系譜。「アジアの壁」から本田圭佑まで、チームの柱となった選手たち

日本代表は初出場となった1998年のフランスワールドカップから数えて6大会連続でワールドカップ本大会に出場している。背番号4を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍を見せたのか。今回はワールドカップで4番を背負った日本代表選手を大会ごとに紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。

2020年05月28日(Thu)7時10分配信

シリーズ:編集部フォーカス
text by 編集部 photo Getty Images
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フランスW杯

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アルゼンチン戦の先発メンバー

監督:岡田武史
戦績:グループステージ敗退

背番号4:井原正巳(横浜マリノス)
生年月日:1967年9月18日(30歳)
個人成績:3試合出場/0得点0アシスト

 筑波大学に進学前、当時の年代別代表監督だった松本育夫の勧めでFWからDFに転向した井原正巳は、大学2年生のときに日本代表デビューを飾った。4年生のときにはイタリアワールドカップアジア予選で加藤久に代わって抜擢され、日本代表での地位を不動のものとしている。

 日本代表は92年のダイナスティカップ(東アジア4カ国による大会)とアジアカップを制覇し、悲願のワールドカップ出場へ機運は高まっていた。しかし、ワールドカップ出場を懸けたイラク戦で、後半ロスタイムに失点して引き分け。「ドーハの悲劇」と呼ばれたこの一戦により、日本代表はワールドカップ出場権を逃している。

 井原は筑波大学卒業後に日産自動車(のちの横浜F・マリノス)に加入している。Jリーグ初年度から5年連続ベストイレブン、95年にはアジア年間最優秀選手にも選ばれ、96年からは日本代表の主将を務めた。フランスワールドカップアジア予選では、イランとの第3代表決定戦で勝利。井原はキャプテンとして4年越しの雪辱を果たした。

 初のワールドカップで井原はフル出場したが、チームは3戦全敗でグループステージ敗退となった。99年のシーズン終了後にマリノスから戦力外通告を受けてジュビロ磐田に移籍。2001年には浦和レッズに移籍したが、2000年以降は代表から遠ざかり、目指していた日韓ワールドカップ出場を果たすことはできなかった。日韓大会が行われた02年、元日本代表監督で当時は浦和を率いていたオフトに引退を勧められ、35歳でユニフォームを脱いでいる。

●アルゼンチン戦の先発メンバー

▽GK
川口能活

▽DF
中西永輔
井原正巳
秋田豊

▽MF
名良橋晃
山口素弘
名波浩
相馬直樹
中田英寿

▽FW
中山雅史
城彰二

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