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代表 4年前

ブラジル代表、歴代ボランチの系譜。Jリーグのレジェンドや世界一の守備職人も…王国の中盤を支配せし者たち

日本でもおなじみの「ボランチ」の語源は、ブラジルにある。ピッチの中央に陣取り、守備をベースに中盤を支配するセントラルMFをそう呼んだ。では、1つの言葉の概念を確立したブラジルの代表チームではどんな「ボランチ」が活躍してきたのか。1998年フランス大会以降のワールドカップでブラジル代表の主力を担った歴戦の勇士たちの系譜を振り返る。(2020年6月掲載の記事を再編集したものです)

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

イタリアW杯(1990)〜フランスW杯(1998)

セザール・サンパイオ ドゥンガ
左からセザール・サンパイオ、ドゥンガ【写真:Getty Images】



ドゥンガ
生年月日:1963年10月31日
個人成績(1990):4試合出場/0得点0アシスト
個人成績(1994):7試合出場/0得点1アシスト
個人成績(1998):7試合出場/0得点2アシスト


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1987年にブラジル代表デビューを飾り、1990年のイタリア大会でワールドカップ初出場を果たした。この大会では早期敗退の責任を問われて非難を浴びたが、1994年のアメリカワールドカップで全てを覆した。キャプテンとしてチームを引っ張り、マウロ・シウバとコンビを組んで中盤を制圧。決勝のイタリア代表戦ではPK戦の最後のキッカーとして優勝の瞬間を味わうことになる。

そして1995年夏からはJリーグのジュビロ磐田に移籍し、日本でも“闘将”や“鬼軍曹”として親しまれた。自身3度目のワールドカップとなった1998年のフランス大会は、磐田所属の選手として出場。2大会連続でキャプテンの重責を担い、再び決勝進出に大きく貢献した。

1997年にJリーグでチャンピオンシップ制覇と年間最優秀選手賞を受賞したドゥンガは、不動のボランチとして磐田に闘魂と勝者のメンタリティを植えつけ、強豪クラブになるうえでの礎を築いた。1999年に母国ブラジルのインテルナシオナルで現役引退。その後、指導者としての経験が全くないまま2006年7月にブラジル代表監督に就任し、2010年の南アフリカワールドカップには監督として出場した。

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