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Jリーグ 2年前

栄光か転落か。Jリーグ、古巣を率いたレジェンド監督5人。命運を任された偉大な功労者たちの行く末は…

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

奥寺康彦(ジェフユナイテッド市原)


【写真:Getty Images】


生年月日:1952年3月12日
市原監督歴:1996年
1996 リーグ戦成績:9位

 今でこそ当たり前となった日本人選手の海外移籍。その先駆者となったのが奥寺康彦だ。古河電気工業サッカー部(ジェフユナイテッド千葉の前身)で大活躍し日本代表に名を連ねるまでになると、1977年にドイツのケルンに移籍。1年目からリーグとカップ戦優勝に貢献した。その後ヘルタ・ベルリンやヴェルダー・ブレーメンでもプレー。ブンデスリーガ通算234試合出場は、長谷部誠に抜かれるまで日本人最多記録だった。

 そんな偉大なキャリアを歩んできた奥寺だが、監督してはあまり結果を残せなかった。1996年にジェフユナイテッド市原の監督に就任したが、開幕直後に4連敗。その後、一度は立て直したかに思えたが、ラスト8試合で1勝7敗という泥沼にハマってしまった。

 結果、奥寺が指揮した1996シーズンのジェフはリーグ戦を16チーム中9位という順位で終えている。その他のコンペティションは、Jリーグヤマザキナビスコカップで予選リーグ敗退、天皇杯では初戦敗退という結果だった。そして成績不振により、奥寺監督は1シーズン限りで退任。奥寺のジェフでの歴史はここで幕を閉じることになった。


【了】

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