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日本代表 4か月前

「違う自分を見せるのも大事」伊藤涼太郎がサッカー日本代表でベールを脱ぐ「自分にしか出せないプレーが…」【コラム】

シリーズ:コラム text by 藤江直人 photo by Getty Images

「伊藤涼太郎にしか出せないプレーがたくさんある」



「鎌田選手のプレーを見て、参考にする部分もたくさんありますけど、やはり誰かを目標にするよりも、僕もそういう選手たちになりたい、目標とされるような選手の一人になりたい、という思いの方が強いですね。自分にしか出せないプレーが、たくさんあると思っているので」

 J1リーグで出場わずか1試合にとどまっていた2017年9月に、浦和からJ2の水戸ホーリーホックへ期限付き移籍。翌年も移籍期間を延長して武者修行に励んだ。2019シーズンには期限付き移籍先を大分トリニータへ変更し、満を持してJ1へ再挑戦するもリーグ戦出場は4試合に終わった。

 2020シーズンには浦和へ復帰したが、リーグ戦の出場が5試合、プレー時間も85分間にとどまる。翌2021シーズンには出場わずか1試合という状況で、7月に再び水戸へ期限付き移籍。自身を巡る状況を変えようと必死だった、当時の伊藤の焦りにも近い胸中が伝わってくる。

 ターニングポイントが訪れたのは同シーズンのオフ。当時J2を戦っていた新潟から届いたのは、期限付き移籍ではなく完全移籍のオファーだった。水戸への期限付き移籍を延長する選択肢もあったなかで、伊藤は新潟への移籍を、つまり浦和との決別を選んだ。伊藤は後にこう語っている。

「一人のサッカー選手として、もう若手と呼ばれる年齢ではなくなってきたなかで、J1での実績がほしい、という強い思いがあった。当時の新潟はJ2でしたけど、ここで活躍できなければ僕のサッカー人生はこのまま終わってしまう。そうした覚悟と危機感を持って新潟に来ました」

 文字通り退路を断って臨んだ2022シーズン。リーグ戦で全42試合に出場した伊藤は、チーム最多タイの9ゴールをマーク。アシストも11を数え、新潟をJ2優勝と6年ぶりのJ1昇格へ導く原動力になるともに、右肩上がりに転じた成長曲線を2023シーズンの前半と海外移籍へとつなげた。

 紆余曲折あるサッカー人生で、A代表は言うまでもなく、東京五輪も含めて年代別の代表にもほぼ無縁だった。タイ戦に臨むメンバーでは、堂安や町田浩樹とともにプレーした経験がある。しかし、それも数えるほど。伊藤も「初めまして、という選手が多い」と苦笑しながら、不安はないと強調する。

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