若きFWに入れ込んだ、もう一人の指揮官
10年の4月、アイスランドの火山が噴火。“エイヤフィヤトラヨートクル”が吐き出した火山灰の影響は、ヨーロッパ全域に及んだ。欧州の空路に甚大なダメージを与え、各地で数万便が欠航。
もちろんサッカー界も、空前絶後の自然災害と無縁ではなかった。欧州チャンピオンズリーグ準決勝のインテル・ミラノ戦を控えていたFCバルセロナは、バスでミラノに向うことを余儀なくされ、レバンドフスキは、ブラックバーンの施設見学を断念せざるを得なかった。
「フライトは予約されていたけど、僕たちは飛び立つことができなかった。そのことが僕の人生を変えたかって? ああ、おそらくね。もしブラックバーンに行っていたら、そこに留まっていただろう」
代わりに向かった先は、ボルシア・ドルトムントだった。
ポズナンで躍動する若きFWに入れ込んだのは、アラダイスだけではなかった。当時のドルトムントの監督ユルゲン・クロップは、30回以上に渡ってレバンドフスキを観察したという。キャップとフードパーカーで変装し、秘密裏にポズナンのスタジアムを訪れたこともあった。
クラブは破産危機の尾を引き摺っていたため、財政面で大きなリスクを取ることができなかったこともあって、クロップは、安価で可能性を秘めたポーランド人FWのスカウティングに熱を入れた。
そして10年7月、ドルトムントはレバンドフスキを獲得。移籍金の額は475万ユーロ。それから“レヴィ”のポテンシャルは、イングランドではなく、ここドイツで花開いていく。
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