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フェルナンド・トーレスとの出会いが人生を変えた。加藤恒平が元日本代表として挑んだJリーグでの1年【インタビュー第2回】

2018シーズンにサガン鳥栖でプレーした元日本代表MF加藤恒平は今、スペインでプレーするという夢を叶えるために欧州で挑戦を続けている。今季前半戦に在籍していたのは、なんとジブラルタルリーグのクラブだった。Jリーグで過ごした日々で何を掴み、日本を去ってからの1年間はどんな思いでサッカーを続けてきたのか。現地で直撃したインタビューを3回に分けてお届けする。第2回では「日本代表とJリーグでの学びや出会い」について話を聞いた。(取材・文:舩木渉)

text by 舩木渉 photo by Getty Images, Kohei Kato

J1初挑戦。サガン鳥栖で痛感した力不足

加藤恒平
【写真:本人提供】

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――鳥栖での1年間についてもお聞きしたいと思います。初めてのJ1でのプレーでしたが、なかなか公式戦に絡めず、リーグ戦は1試合途中出場、YBCルヴァンカップ4試合出場で退団することになりました。改めてあの1年をどう振り返りますか?

「試合にほとんど出られなかったので、そこに関してはすごく悔しい気持ちはありましたけど、決してネガティブなものではなくて、学んだことは多かったですし、全く後悔もしていません。鳥栖での1年があってこそ今がありますし、何事も全てのことを生かすか殺すかは自分しだいです。

試合に出られないから練習もちゃんとやっていなかったかというと、そうではない。成長するために自分ができることを毎日積み重ねていく作業はどこにいても変わらないし、それが僕にとっては一番大切なことです。悔しさもありますけど、成長するためには必要な時間だったかなと思います」

――ルヴァンカップでのプレーを拝見しても、ボール奪取、危機察知と迅速なカバーリング、デュエルの強さなど、多くの日本人が課題としている部分を強みとして発揮できていたように思いました。ご自身では、鳥栖で公式戦になかなか絡めなかった要因をどう分析していましたか?

「単純に自分が下手くそでチームを助ける力がなく、鳥栖では選手として試合に出続けるために自分の能力が十分ではなかっただけだと思います。環境や監督、チーム状況によって選手の評価が180度変わるのは僕も目にしてきました。どんな環境、どんな監督、どんなチームでも試合に出続けれられるのが優れた選手の最低条件で、そこでさらに結果を出せば、さらにいい選手になっていくと思います。それは僕が目指しているところでもあります。

それでもJ1で通用しないとは全く思わなかったですし、むしろやれる部分が大きかったんです。リーグ戦でも、ルヴァンカップでも、試合に出してもらえればしっかり結果を出せる自信はありました。でも、チャンスがめぐってこなかったのではなく、自分が掴みきれなかった。

ルヴァンカップでもボランチの選手だけど、例えば1点取ってチームを勝たせていたら……。もちろん守備が僕の強みではありますけど、プラスアルファでもっとチームに貢献するプレーができていれば、監督も使ってくれていたかもしれません。インパクトのある結果を残すことが単純に足りなかったのかなと思います」

フェルナンド・トーレスとの出会い

――2018年は、夏にフェルナンド・トーレスが加入するというサプライズがありました。鳥栖だけでなく、加藤選手のキャリアにとっても大きな転機になったのではないかと思います。

「大きな影響があったと思います。彼が日本に来るなんて思ってもいなかったですし、あの当時ニュースに『トーレスが鳥栖に移籍する』と出ても、チーム内で『あり得ない』『鳥栖なんかに来ないでしょ』みたいな雰囲気はあったので、まさか本当に決まるとは思っていませんでした。

ワールドカップ、EURO、チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグなど全てを勝ち取った選手が来てくれて、僕ら選手も彼のプレーや練習から学ぶことはすごく多かったですし、それ以上にサッカーに対する姿勢であったり、練習前後の準備、人間性が素晴らしかったですね。やっぱり本当にトップ・オブ・トップを極めた一流選手は人間としてもトップ・オブ・トップです。人としての素晴らしさにおいて、最高のお手本でした。

彼はもちろんスター選手ですけど、もちろん文句も言うし、怒るし、喜ぶし、冗談も言うし、ピッチを離れたら普通の人間です。あんなにカッコいいし、スタイルもよくて、かつ中身は素晴らしい人間で、お兄ちゃん的な存在というか、いろいろ話もして、もちろんお互い愚痴をこぼすこともありますし、でも人生にはこういうこともあるよね、といろいろ教えてもらいました。

僕は試合に出られていない状況だったので、彼に励ましてもらいましたし、僕みたいな選手に対しても本当にフラットに接してくれる。『そこまでしてくれなくてもいいのに…』というところまですごく気にかけてくれて。『このままの姿勢で練習に取り組んでいれば大丈夫。すごくよくやっているから、それを続けていくのがプロとして大切なこと。いつか君の未来は変わってくる。だから今やっているようにこれからも続けていけばいい』というポジティブな言葉をかけてもらった時には、すごく救われました。

僕自身、誰かに評価してもらいたくてサッカーをしているわけではないですけど、しっかり見てくれている人はいて、しかもそれが世界的なスターのフェルナンド・トーレスという選手だった。なおかつそれを言葉にしてくれたのが嬉しかったです。本当に救われました。あれだけ長期間試合に出られないのは初めてだったので、僕にとっては特別な選手であり、人間であり、友だちですね」

――鳥栖を退団した後に契約目前まで迫ったフエンラブラダは、フェルナンド・トーレスの地元のクラブで、ホームスタジアムには彼の名前も冠されています。クラブとの繋がりは彼が作ってくれたものだったのでしょうか。

「そうですね。でも、フェルナンドが直接クラブに話してくれたわけではなく、知り合いの仲介人に連絡してくれて、その仲介人がフエンラブラダといい関係を築いていて、たまたたまフェルナンドの地元のクラブだったというだけです。そこから先は僕と仲介人の関係で、フェルナンドが介入することはありませんでした。

僕自身、誰かの口添えによって契約するのではなく、ちゃんと実力を認められて契約したいというのがあったので。夏にフエンラブラダのトライアルに行くことも、フェルナンドは僕から伝えるまで知らなかったです。その時も『頑張って』という言葉をもらいましたが、スペイン挑戦へのきっかけを作ってくれたフェルナンドと鳥栖で出会えたことは、本当に幸運だったと思っています」

日本代表になっても「僕は変わりません」

加藤恒平
【写真:Getty Images】

―ここからはまた別の話をしたいと思います。加藤選手は2016年9月のことを覚えていますか?

「何かありましたっけ?」

――当時日本代表を率いていたヴァイッド・ハリルホジッチ監督の「ブルガリアのカトウも見てきた」発言です。ブルガリアのベロエ・スタラ・ザゴラでプレーしていた加藤選手にスポットライトが当たり、のちの日本代表招集にもつながりました。

「あれは2016年でしたか…」

――あの発言があった後からいろいろなものが動き始めたり、今までになかったいろいろなものが降りかかってきたのではないかと思います。鳥栖加入時に「元日本代表」という肩書きを背負っていたことで、大きなプレッシャーを感じたのではないかとも想像していました。日本代表での経験がご自身のキャリアに及ぼした影響についてどう考えていますか?

「日本代表という肩書がつくことによって、注目度は上がったと思いますけど、全然気にしていませんでした。周りからの僕に対する見方が変わっただけで、僕自身に影響はないですね。今まで通りやれることを毎日やって、日本代表に選ばれる前も、選ばれた後も、僕は変わりません。どんな環境でも、どんなに試合に出れなくても、自分の中ではずっと変わらずやり続けてきた自信があるので。日本代表だからプレッシャーがある、ブルガリアだからプレッシャーがないというわけでもなく、プレッシャーはどこにでもあるものです。

僕はどの試合も『今日が最後かもしれない』『この試合で何かが変わるかもしれない』という思いで挑んでいるので、どんなに小さな試合でも僕は毎回プレッシャーを感じていて不安ですし、『うまくできなかったらどうしよう…』と考えています。

だからこそ、その不安やプレッシャーを少しでも取り除くためにトレーニングして、サッカーのことを勉強して、少しでも自信を持った状態で試合に臨めるように、そういう考え方でずっとやってきました」

――普通の選手なら代表監督に名前を挙げられたら飛び跳ねて喜びそうなものですが、そんなことはなく冷静に自分の立場や進むべき道を見据えられていたと。

「スペインでプレーすることだけでなく、チャンピオンズリーグに出ることも自分の中では目標としています。そこに対して1人で向かうのではなくて、日本代表に選ばれる前からずっと一緒に歩んできてくれた身近な人たちのサポートがあって、日本代表にもなれて、成長し続けることもできて、今の自分があるんです。そういう人たちには心から感謝しています。

ずっとお世話になってきているトレーナーの方や仲介人の方など、僕が日本代表に入ることを本当に信じてくれて一緒に夢を追ってくれていた人はごくわずかで、本当に大切な人は自分の中でハッキリしているんです。家族ですら僕の日本代表入りを信じていなかったと思いますよ(笑)」

(取材・文:舩木渉)

加藤恒平(かとう・こうへい)
1989年6月14日生まれ、和歌山県出身。ジェフユナイテッド千葉の育成組織を経て立命館大学に進学。大学在学中にアルゼンチンへ渡り、プロ選手としての契約を目指す。帰国後の2012年にJ2のFC町田ゼルビアへ加入。同クラブ退団後はモンテネグロ、ポーランドを経て、ブルガリアのベロエ・スタラ・ザゴラ在籍時の2017年5月に日本代表初招集。2018年にサガン鳥栖でプレーしたのち、再び渡欧し2019/20シーズン前半戦はジブラルタル1部のセント・ジョセフスFCに在籍した。Jリーグ通算30試合出場。

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【了】

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