“ハリルの秘密兵器”と呼ばれた男、サガン鳥栖退団からジブラルタルへの旅路。全ては「スペイン移籍」のために【インタビュー第1回】

2018シーズンにサガン鳥栖でプレーした元日本代表MF加藤恒平は今、スペインでプレーするという夢を叶えるために欧州で挑戦を続けている。今季前半戦に在籍していたのは、なんとジブラルタルリーグのクラブだった。Jリーグで過ごした日々で何を掴み、日本を去ってからの1年間はどんな思いでサッカーを続けてきたのか。現地で直撃したインタビューを3回に分けてお届けする。第1回では「新たな一歩を踏み出した2019年」について話を聞いた。(取材・文:舩木渉)

2020年02月01日(Sat)6時00分配信

text by 舩木渉 photo Wataru Funaki
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加藤恒平、ヨーロッパの最果てへ

加藤恒平
【写真:舩木渉】

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「ブルガリアのカトウも見てきた」

 2016年9月29日、当時日本代表を率いていたヴァイッド・ハリルホジッチ監督の発した一言で、1人の青年の運命が大きく動き始めた。「カトウ」とは、ブルガリアのベロエ・スタラ・ザゴラでプレーしていた加藤恒平のことだ。

 Jリーグでは2012年にJ2のFC町田ゼルビアでプレーしたのみで、ほとんど実績がない無名選手だった。ジェフユナイテッド千葉のアカデミー出身で、立命館大学在学中にアルゼンチンへ渡り、帰国後に町田へ加入してJ2リーグ29試合に出場するも、1年で退団。

 その後はモンテネグロ1部リーグのFKルダル・プリェヴリャへ移籍し、そこでの活躍が認められてポーランド1部リーグのTSポドベスキジェ・ビェルスコ=ビャワへステップアップを果たす。さらに2016年夏からブルガリアのベロエでプレーしていた。

 “ハリルの秘密兵器”とも呼ばれた男は、2017年5月に日本代表初招集を受けるも国際Aマッチへの出場は果たせず。2018年にはサガン鳥栖に加入するも、出場機会に恵まれず1年で退団することとなった。

 あれから約2年が経ち、加藤は2019年10月からジブラルタルでプレーしていた。鳥栖退団後、スペインのクラブに2度にわたって挑戦するも、正式契約は叶わず。短期間ポーランド3部クラブに在籍したのち、イベリア半島の最南端、イギリス領の小さな“街”に新天地を求めたのである。

 ジブラルタルは2013年にUEFA、2016年にFIFA加盟を果たしたばかりで代表チームは欧州最弱クラス。なぜ30歳になった元日本代表MFは欧州の最果てとも言える地に赴いたのか。何を見据えて、何を思い挑戦を続けているのか。現在、昨年10月に契約を結んだクラブを退団して、再び夢の実現に向けて動き出している加藤をジブラルタル1部のセント・ジョセフスFC在籍時に直撃したインタビューをお届けする。

「僕はどうしてもスペインでプレーしたかった」

――10月末に新天地がジブラルタルに決まったというニュースを読んで本当に驚きました。プレシーズンにスペイン2部のフエンラブラダに練習参加していたそうですが、なぜスペインではなくジブラルタルへ移籍することになったのでしょうか。

「7月のチーム始動日から9月頭までずっとフエンラブラダに帯同して、結構いい感じで話は進んでいたんです。けど、移籍市場が閉まる最後の日に契約できないことになって、そこから改めてチームを探していました。フエンラブラダから移籍予定だった選手が残留することになり、25人の登録枠に空きができなかったんです。ただ、僕はどうしてもスペインでプレーしたかったので、できるだけヨーロッパに残った方がいいと思って、とりあえず冬まで契約できるところを探し、なかったら最悪アジアでのプレーも考えてはいました。

その中でヨーロッパのクラブから1年や2年契約の話はあったんですけど、どうしても1月にスペインに再チャレンジしたいという条件を聞き入れてくれたのがジブラルタルのセント・ジョセフスFCだったんです。10月初旬からチームには合流していたものの、手続きなどに時間がかかって結局10月末の正式発表になったという流れです。フエンラブラダとの契約がまとまらなかったのは残念ではありますけど、別にそれで終わったわけではないので、またスペインでプレーする夢を叶えるためのチャレンジをしたいなと思っています」

――2018シーズン限りで契約満了となったサガン鳥栖を退団した直後にも、当時2部B(スペイン3部相当)だったフエンラブラダで練習に参加するとの報道がありました。ただ、その時も契約までは至らず、最終的に移籍したのはポーランド3部のヴィジェフ・ウッチでしたよね。この決断にも驚きました。

「鳥栖を退団した後、いろいろなクラブからオファーをもらいました。でも僕はずっと昔からスペインでやりたいと思っていて、それは2部Bでも問題なくて、そこから2部、1部へと上がっていく未来も自分の中では描いていました。当時29歳という年齢を考えてもラストチャンスかなとは思っていましたし、お金に関係なく自分がやりたいと思ったところでプレーしたかったので、フエンラブラダのトライアルに行って契約へOKをもらい、それから書類の手続きのために3月まで彼らが動くのを待って、その間にいただいたオファーは全て断っていました。

ヴィジェフ・ウッチは12月の終わりからずっと待ってくれていて、結局他の選択肢はなく、とりあえずもう一度サッカーをしなければいけないタイミングだったので、僕としてはすごくありがたいオファーでしたね。

財政問題で5部まで落ちていた時期もありましたが、ヴィジェフ・ウッチはかつてポーランド国内でも強豪で、スタジアムも毎試合1万8000人くらいが満員になる人気クラブです。彼らはいずれは一緒に2部、1部へとステップを上っていきたいと言ってくれていましたが、それでも僕はもう一度スペインにチャレンジしたいと伝えて、夏までの短期契約を結ぶことになりました」

ジブラルタルは「今までで一番厳しい環境」

ジブラルタル
ジブラルタルリーグの試合は全て1つのスタジアムで開催。すぐ後ろに空港の滑走路があり、観客はほとんどいない【写真:舩木渉】

――移籍先がポーランド3部と聞いた時は、鳥栖で怪我などをしてパフォーマンスが落ちてしまったのかと心配していましたが、決してそうではなく将来を見据えた決断が背景にあったということですね。

「僕自身、パフォーマンスの面に心配は全くなくて、自分が一番やりたいところでやりたいだけでした。それが僕にとって夢だったスペインリーグです。だからスペインにいる間に他の国からどんなに条件が良いオファーを受け取っても、一切そっちに行きたいとは思わなかったです。契約までの手続きを待っている間にチームと練習ができない辛さはもちろんありましたけど、東京でお世話になっているトレーナーの方が毎日トレーニングに付き合ってくれていたので、そういう方々のおかげで前向きであり続けられました」

――ただ、ジブラルタルリーグはどうしても競技レベルがスペインに比べて大きく下がってしまいます。

「もちろんスペインの2部などに比べたらレベルは下がります。けど、レベルが下がったから自分のやることが変わるとは全く考えていなくて、今いる場所でやれることを100%やるのがプロだと思うので、環境を言い訳にするつもりはないです。常に自分が成長するのは自分しだいだと思っているので、ジブラルタルにいることがマイナスだとは思わないですね。

でも、ジブラルタルリーグは自分の中では今までで一番厳しい環境だと感じています。練習も公式戦も人工芝でやり、フルピッチを使える日もあれば、半面しか使えない日もあって、練習場にジムはありません。だから自分でストレッチポールとストレッチマットを毎日持っていくしかない。

練習開始は20時半で、帰ってきたら23時前になっていて、夜ご飯を食べ終えて23時半、そこからいろいろ片付けをして、寝るのが0時半から1時くらいになります。練習場はスペイン側にある他クラブの施設を借りているので、ロッカールームに物を置いておけないし、もちろん練習着の洗濯は自分でしなければいけません。

自分も30歳になってこういう環境でサッカーをやるとは思っていなかったので、ある意味フレッシュというか、ハングリーになれるところはあります。アルゼンチンの時はもっと酷かったですけど、モンテネグロの方が今より環境的に良かったですからね。プロになって練習着を自分で洗濯しなければいけないのはFC町田ゼルビアでプレーしていた頃と今だけです。とはいえ自分の実力不足でジブラルタルにいるわけなので、もう一度ここから這い上がっていきたいと思っています」

(取材・文:舩木渉)

加藤恒平(かとう・こうへい)
1989年6月14日生まれ、和歌山県出身。ジェフユナイテッド千葉の育成組織を経て立命館大学に進学。大学在学中にアルゼンチンへ渡り、プロ選手としての契約を目指す。帰国後の2012年にJ2のFC町田ゼルビアへ加入。同クラブ退団後はモンテネグロ、ポーランドを経て、ブルガリアのベロエ・スタラ・ザゴラ在籍時の2017年5月に日本代表初招集。2018年にサガン鳥栖でプレーしたのち、再び渡欧し2019/20シーズン前半戦はジブラルタル1部のセント・ジョセフスFCに在籍した。Jリーグ通算30試合出場。

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【了】

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