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Jリーグ 1年前

挫折と苦悩。槙野智章がそれでも貫いた野心。お祭り男が目指した選手像とは?【コラム】

シリーズ:コラム text by 元川悦子 photo by Getty Images

お祭り男の挫折と苦悩


【写真:Getty Images】

 そんな槙野だったが、日本代表では挫折にも直面した。22歳だった2010年1月のイエメン代表戦でキャプテンマークを付けて国際Aマッチデビューを飾り、2010年南アフリカW杯のサポートメンバーに指名(最終的には辞退)されたのも、「近未来の代表DF」と多くの関係者に認識されていたからだろう。

 実際、アルベルト・ザッケローニ監督体制の最初の大舞台となった2011年アジアカップにも招集された。が、この大会をケガで棒に振ったのが響いたのか、センターバック(CB)は吉田麻也と今野泰幸で固定され、槙野は出遅れることになる。ほぼ同時期のケルン移籍で出番を失ったのも災いし、代表定着しきれず、2014年ブラジルW杯を逃してしまう。

 次のチャンスは2015年3月に発足したヴァイッド・ハリルホジッチ監督時代。槙野はハリルに重用され、20代後半になってようやく主力級の立場をつかんだかと思われたが、同指揮官が2018年4月に解任され、ロシアW杯本番では昌子源にポジションを譲ることになってしまう。ようやく出場機会が巡ってきたポーランド戦でもチームを勝たせることができなかった。その後の森保ジャパンも名を連ねたのは2019年アジアカップまで。足掛け10年間の代表キャリアはホロ苦いものになった。

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