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Jリーグ 9か月前

Jリーグ歴代ガッカリ外国籍選手ワーストイレブン。期待を裏切った助っ人たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

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【写真:Getty Images】


FW:ゲーリー・リネカー(名古屋グランパス/元イングランド代表)
生年月日:1960年11月30日(当時33歳)
在籍期間:1993年1月~94年7月
J1リーグ成績:18試合4得点0アシスト

 イングランド代表としてワールドカップに2度出場し、1990年のイタリア大会では得点王に輝いたゲーリー・リネカー。ボビー・チャールトンに次ぐ48ゴールを記録し、ブライアン・ロブソンの後任としてキャプテンも経験した。

 20世紀を代表するレジェンドの1人であるリネカーは、Jリーグが開幕する1993年に名古屋グランパスにやってきた。当時の最高額の年俸は3億円とも言われ、大きな注目を集めている。

 開幕戦の鹿島アントラーズ対名古屋グランパスは、ジーコとリネカーのスター対決ということもあり大きな注目を集めたが、試合は0-5で名古屋が大敗。それから10日後に行われた横浜フリューゲルス戦で初ゴールをマークしたが、コンディションに問題があり1年目は7試合1得点に終わった。94年も開幕戦から欠場が続いたが、ファーストステージ最終節で復帰すると、セカンドステージは10試合3ゴールと期待を裏切り、この年限りで現役を引退している。

FW:イルハン・マンスズ(ヴィッセル神戸/元トルコ代表)
生年月日:1975年8月10日(当時28歳)
在籍期間:2004年2月~2004年6月
J1リーグ成績:3試合0得点0アシスト

 ドイツ育ちのイルハン・マンスズは、自身のルーツがあるトルコでプロキャリアを歩んだ。ベシクタシュで01/02シーズンに得点王に輝くと、トルコ代表として日韓ワールドカップに出場。端正な顔立ちから「トルコの貴公子」と呼ばれたイルハンは、日本のテレビの特集が組まれ、写真集も発売されるほど当時の日本で人気を博した。

 ヴィッセル神戸にやってきたのは2004年。移籍金5億円、年俸3億5000万円ともいわれる大型移籍となったが、古傷の右ひざの状態が悪化したこともあり、プレーしたのはわずか3試合。6月にクラブに無断でドイツに帰国し、そのまま退団してしまった。

FW:ベベット(鹿島アントラーズ/元ブラジル代表)
生年月日:1964年2月16日(時36歳)
在籍期間:2000年1月~2001年1月
J1リーグ成績:8試合1得点0アシスト

 フラメンゴやスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャの中心選手として活躍したベベット。自身2度目のワールドカップ出場となった1994年の米国ワールドカップではロマーリオと2トップを組み、3ゴールを挙げてブラジル代表の優勝に貢献している。

 3度目の出場となったフランスワールドカップでも3ゴールを挙げて準優勝にチームを導いたベベットは、その1年半後に日本にやってきた。フラメンゴ時代のチームメイトでもあるジーコの誘いを受け、2000年に鹿島アントラーズに加わった。

 2000年は鹿島にとって初の国内3冠を獲得したシーズンとなったが、ベベットはチームにフィットすることはできなかった。初出場からわずか2か月、8試合1ゴールという成績でチームを退団している。ブラジル代表史に残るストライカーだっただけに、期待とのギャップは大きかった。

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