本田圭佑が感じた「煽ってきた責任」の重さ。「自分たちのスタイル」が結果を残せなかった理由とは?【日本代表平成の激闘史(11)】

時代は平成から令和へと代わり、その間、ワールドカップに6回連続出場を果たすなど、日本代表は大きな躍進を遂げた。時代は変われども、後世へと語り継ぎたい日本代表名勝負を振り返る本企画。今回は平成26(2014)年に行われた、ブラジルワールドカップでの日本代表の戦いを回顧する。(文:元川悦子)

2019年05月27日(Mon)9時55分配信

シリーズ:日本代表平成の激闘史
text by 元川悦子 photo Getty Images
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高まるベスト8入りの機運

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本田圭佑【写真:Getty Images】

 平成22(2010)年南アフリカワールドカップ16強という予想外の成功で、当時26歳の長谷部誠や24歳の本田圭佑、23歳の長友佑都といった20代半ばの面々が自信をつけたこともあり、4年後のブラジルワールドカップは8強超えの機運が高まった。

 時を同じくして香川真司がボルシア・ドルトムント、内田篤人がシャルケ、長友がチェゼーナ、川島永嗣がリールセと代表主力候補が続々と欧州挑戦。揃って試合に出て、活躍し始めたことも、期待を大いに膨らませた。

 そのタイミングでやってきたのが、イタリアのビッグ3を率いたことがあるアルベルト・ザッケローニ監督だった。希代の戦術家として知られたザックの就任初戦だった平成22(2010)年10月のアルゼンチン戦で、フレッシュな日本はメッシ擁する強豪を1-0で一蹴。これで「史上最強」の呼び声が一気に高まっていく。

 その評価をさらに高めたのが、翌年1月のアジアカップ。日本は序盤から大苦戦を強いられながらも勝ち上がり、宿敵・韓国を準決勝で下し、ファイナルでオーストラリアを延長の末に撃破。2大会ぶりのアジア王者に輝いたのだ。

 この大会で22歳の吉田麻也が新たな守備の要として使えるメドが立ち、MVPに輝いた本田も頼もしいエースに飛躍するなど、新生ジャパンには凄まじい勢いが感じられた。

【次ページ】早すぎた成功の代償

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