澤穂希

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なでしこジャパンは2011年の日本そのものだった。空前のブーム、2人の10番が見たその後【日本代表平成の激闘史(12)】

時代は平成から令和へ。時代は変われども、後世へと語り継ぎたい平成に起きた名勝負を、各ライターに振り返ってもらう本企画。今回は平成23年(2011年)、女子ワールドカップ優勝を果たしたなでしこジャパンについて。世界の頂点に立ち、日本国内は『なでしこフィーバー』に沸いた。(文:青木務)

『全部私がカバーするから』。20歳を”隣”で支えた澤の言葉。新境地開拓で自信を掴んだ伊藤美紀、愛情に育まれた充実の1年

『全部私がカバーするから』。20歳を”隣”で支えた澤の言葉。新境地開拓で自信を掴んだ伊藤美紀、愛情に育まれた充実の1年

澤穂希、日本女子サッカーを四半世紀にわたってけん引してきた選手がスパイクを脱ぐ決断をした。偉大なレジェンド最後の相方は20歳の伊藤美紀。これまで攻撃的なポジションを任されていた若手MFはコンバートを経験して急成長を遂げた。そしてその裏には澤の何気なくも力強い言葉による大きな支えがあった。

澤穂希が神頼みをした1試合。なでしこジャパン“以前”の分岐点

澤穂希が神頼みをした1試合。なでしこジャパン“以前”の分岐点

突然の現役引退発表で日本中を驚かせた、なでしこジャパンのレジェンド澤穂希(INAC神戸レオネッサ)。15歳4ヶ月で日本女子代表デビューを果たし、男女を通じて日本歴代最多となる205試合に出場してきた軌跡を振り返ると、生きるか死ぬかの大一番で放たれた圧倒的な存在感にたどり着く。澤自身が「もっとも辛かった」と位置づける2004年4月24日の北朝鮮女子代表戦は、日本女子サッカー界を絶望の淵から救った魂の90分間として、2011年の女子ワールドカップ制覇とともに未来永劫に語り継がれていく。

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