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世界のトップに立つために――。ザックジャパンの軌跡。激動の4年間に込められた、選手・監督・協会、それぞれの信念

text by 藤江直人 photo by Getty Images

前回より上を目指すために。原博実技術委員長の覚悟

 岡田監督をサポートしてきた、日本サッカー協会の原博実技術委員長もその一人だった。新監督の招聘に当たり、日本代表チームの普遍的な指針を定める上で不退転の覚悟を固めたことを、5月発売の『サッカー批評issue68』でのインタビューで明かしている。

「ブラジルにしてもドイツにしても、強豪と呼ばれる国はスタイルを持っている。決して岡田さんの戦い方がダメだと言うわけではないけれども、ならば日本のスタイルは何かと言ったら、自陣に近いところで守り、カウンターで攻めるだけというサッカーでは、前回大会よりも上へは行けないと思っている」

 悲願の初出場を果たした1998年のフランス大会では、直前にそれまでの4バックを3バックに変更した。韓国との共同開催となった2002年大会では、ラインを高く保つ当時のフィリップ・トルシエ監督の代名詞「フラット3」を、ディフェンスリーダーの宮本恒靖らの判断のもとで自陣深くに引いた。

 1979年生まれの黄金世代が円熟期を迎えた2006年のドイツ大会では、当時のジーコ監督が明確な戦術を持ち合わせていなかった。そして、直前で堅守速攻に舵を切った南アフリカ大会。5大会連続の出場を目指したワールドカップへの道のりは、日本独自のスタイルを定める戦いでもあった。

 原技術委員長はこうも語っている。

「テクニックを生かしながら瞬発力や組織力、あるいは頭のよさを武器にして戦っていくことが日本のよさだと私は思っている。カウンターも持ち合わせつつ、サイドを起点にしながらボールを動かし、自分たちがボールを保持する時間を長くして主導権を握り、スピードに乗って相手を崩していくザッケローニ監督のスタイルを、いかにして相手ゴールに近いエリアで継続して発揮していくことができるか」

 ザッケローニ監督との契約は2010年8月下旬にまでずれ込み、ビザの関係で、9月に行われたパラグアイ、グアテマラ両代表との国際親善試合は原技術委員長が監督代行を務めた。日本人の長所と日本サッカーの歴史を尊重し、独自のスタイルを築ける指揮官を最後まで探し求めたがゆえの異例の事態だった。その間には、現在はマンチェスター・シティを率いるマヌエル・ペジェグリーニ監督ともコンタクトしている。

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