「本田頼み」の印象拭えなかったブラジルW杯予選。1年弱の不在で際立った大黒柱の存在感【アジア予選激闘史】

日本がW杯に初出場したのは98年フランス大会。それまではアジアの壁を超えることができず、また連続出場できているものの、楽に勝ち抜けた時はない。W杯に出場するのは並大抵のことではないのだ。18年ロシアW杯へ向け大一番を迎える今だからこそ過去の激戦を振り返りたい。今回は14年ブラジルW杯予選。ザッケローニ監督率いる日本代表はアジアカップの優勝チームをベースに歩みを進めた。(取材・文:元川悦子)

2017年08月31日(Thu)10時19分配信

シリーズ:ワールドカップ・アジア予選激闘史
text by 元川悦子 photo Getty Images
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2011年アジアカップ優勝チームがベースに

アジア3次予選初戦の北朝鮮戦では吉田麻也が試合終了間際に劇的な決勝点を決めた
アジア3次予選初戦の北朝鮮戦では吉田麻也が試合終了間際に劇的な決勝点を決めた【写真:Getty Images】

 岡田武史監督(現FC今治)体制で挑んだ2010年南アフリカワールドカップで中立地初のベスト16入りを果たした日本代表。

 その後を引き継いだアルベルト・ザッケローニ監督はその主力である遠藤保仁(G大阪)、長谷部誠(フランクフルト)、川島永嗣(メス)、本田圭佑(パチューカ)、長友佑都(インテル)ら遺産を生かした陣容に吉田麻也(サウサンプトン)、今野泰幸(G大阪)らを加えたチーム編成で2011年アジアカップ(カタール)制覇を達成。

 香川真司(ドルトムント)の左サイド起用は本人も不完全燃焼ではあったが、そこで構築された確固たるベースを生かして、2014年ブラジルワールドカップアジア予選を戦った。

 シード国の日本は2006年ドイツ、2010年南ア同様、3次予選から参戦。このステージから北朝鮮、ウズベキスタン、タジキスタンという厳しいグループを戦わざるを得なくなった。上位2位以内が最終予選(4次予選)に進むとはいえ、北朝鮮は2010年南アワールドカップ出場国。ウズベキスタンも手強い。

 案の定、2011年9月の初戦・北朝鮮戦から大苦戦を強いられ、後半ロスタイムに長谷部とのショートコーナーから清武弘嗣(C大阪)が挙げた右クロスを吉田がヘッドで叩き込み、1点を手に入れるという薄氷の勝利からスタートした。

 3次予選はこの後、アウェイ・ウズベキスタン戦(タシケント)でドロー、タジキスタン戦(大阪&ドゥシャンベ)で2連勝し、早々と2位以内が決まった。その後の北朝鮮戦(平壌)とウズベキスタン戦(豊田)で2連敗というのはいただけなかったが、最終予選進出決定後ということでザッケローニ監督解任論も起きなかった。

 しかもこの時期はエースに君臨していた本田が右ひざ負傷で長期離脱を強いられ、長谷部や中村憲剛(川崎)、香川を入れ代わり立ち代わりトップ下でトライしていた時期。明確な解決策が見つからないまま、日本は3次予選2位通過となってしまった。

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