アルゼンチン代表、歴代ストライカーの系譜。マラドーナからメッシの時代へ…FW大国が輩出した傑物たち

アルゼンチンは歴史的に優秀なFWが輩出されることで知られる。ディエゴ・マラドーナやリオネル・メッシは別格として、他にも各世代に傑出したゴールハンターたちがいた。時代の移り変わりとともに、アルビセレステス(白と空色)の魂はどのように受け継がれてきたのか。4年に一度のワールドカップを起点に、アルゼンチン代表で活躍したストライカーの系譜を振り返る。(2020年6月掲載の記事を再編集したものです)

2020年06月26日(Fri)9時00分配信

シリーズ:編集部フォーカス
text by 編集部 photo Getty Images
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スペインW杯(1982)〜アメリカW杯(1994)

マラドーナ カニーヒア
左からマラドーナ、カニーヒア【写真:Getty Images】



ディエゴ・マラドーナ
生年月日:1960年10月30日
個人成績(1982):5試合出場/2得点0アシスト
個人成績(1986):7試合出場/5得点5アシスト
個人成績(1990):7試合出場/0得点2アシスト
個人成績(1994):2試合出場/1得点1アシスト


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アルゼンチンサッカー界に燦然と輝く永遠のアイコン、それがマラドーナだ。初めて出場したワールドカップ、1982年のスペイン大会では21歳ながら10番を任された。しかし、第2ラウンド第2戦・ブラジル代表戦で報復行為により退場処分を受け、アルゼンチン代表も敗退となってしまう。

その後、3年ほど代表から遠ざかり、1985年に復帰。翌年のメキシコワールドカップでは、10番キャプテンに任命されてマラドーナ中心のチームが作られた。当時、右ひざの負傷に悩まされていながら、大会が開幕すると大爆発。

準々決勝のイングランド代表戦では、かの有名な「神の手」と「5人抜き」のゴールが生まれるなど決勝までの7試合で5得点5アシストと異次元の活躍を披露し、アルゼンチン代表を2度目の優勝に導いた。そして個人としても大会MVPに選ばれ、伝説となる。

1986年大会からの連覇を目指した1990年のイタリア大会では、決勝で前回大会と同じ西ドイツ代表と対戦して敗れ、惜しくも準優勝に終わった。マラドーナ自身も4年前のようなゴールラッシュはなく無得点と不調で、決勝でもギド・ブッフバルトの徹底マークに苦しめられて沈黙した。

その後、薬物使用疑惑などで代表から遠ざかり、所属クラブでも度々トラブルを起こしていた。アルゼンチン代表には1993年2月に復帰するも、翌年のアメリカワールドカップ出場時はなんと「無所属」。それでもキャプテンに任命され、好調なプレーを披露していたが、グループリーグ第2戦のナイジェリア代表戦後にドーピング検査で陽性反応が出て大会から追放に。FIFAから15ヶ月の出場停止処分を受けて、そのまま代表でのキャリアは終焉を迎えた。

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