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Jリーグ 1年前

町田ゼルビアは何が変わったのか? 前例のない改革の正体と日常に生まれた変化【コラム】

シリーズ:コラム text by 藤江直人 photo by Getty Images

まだまだ続くFC町田ゼルビアの改革

【写真:Getty Images】



 高校サッカーの監督からJクラブのプロ指揮官への転身では、過去には1984年に赴任した千葉県の市立船橋を全国屈指の強豪校に育て上げ、4度の全国高校サッカー選手権優勝に導いた布啓一郎氏が群馬、松本山雅FC、FC今治の監督を務めたケースがあげられる。

 もっとも、布氏の場合は2003年に市立船橋を退職。U-16およびU-19日本代表監督や日本サッカー協会の技術委員、ユースダイレクターなどを歴任した後の2015年に岡山のコーチに、さらに2018シーズンには当時J3だった群馬の監督に就任した経緯あった。

 高校サッカー界からいきなりJリーグへ監督として移籍するのは初めてのケースであり、ある意味でサプライズ人事だった。青森山田で保健体育科教諭と主幹教諭も務めていた黒田監督は、就任時に町田を通じて発表したコメントのなかで、第一声としてこんな言葉を紡いでいる。

「私はこれまでプロの指導者としての経験がなく、私の就任について不安を感じられることもあるかもしれません。ただ、長きに渡り培ってきた『勝者のメンタリティー』はどのカテゴリーであっても、失われるものではないと信じております」(原文ママ)

 勝者のメンタリティーをキャッチーにまとめた言葉が「勝つ、イコール、守れること」となる。さらにまずは無失点を徹底させる姿勢が、前線からのプレスを最優先させる方針のもと、個の力に長けたエリキを2試合続けて最初の交代カードでベンチに下げる采配に反映されている。

 2試合を終えて1勝1分け、総得点2に対して失点ゼロ。対戦相手にそれほど多くの決定機を作らせていないスタートに、指揮官はある程度の手応えを感じている。

「まだまだ修正の余地はありますけど、これまでやってきた成果が出ていると思っています。流れのなかでゴールを取れていない点にはいろいろとありますけど、リスタートも含めたトータルで最終的にわれわれが勝ち点3を取るというコンセプトのもとで戦っていきた」

 長丁場の戦いはまだ40試合も残っている。それでも球際の激しさを含めて、戦う集団と化しつつある現在地をしっかりと示した。さらに群馬の大槻毅監督は「われわれがあの位置で、主審の笛を鳴らさせてしまったのが大きな問題」と、ともに失点に繋がった2度のファウルを嘆いた。

 下田や翁長に搭載された飛び道具と、デュークだけでなく池田らの高さと強さも脅威になると知らしめた船出。群馬戦後に「初勝利がいつ来るのかと思い、寝られないときもありました」と本音を漏らした黒田監督は、攻撃の構築や3バックとの併用も現在進行形で上積みさせながら、最終的には「何でもできるチーム」を目指して、J1昇格を目指す町田の改革を進めていく。

(取材・文:藤江直人)

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【了】

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