西部の4-4-2戦術アナライズ

レアル・マドリーのジネディーヌ・ジダン監督

レアル、万全のアトレティコ対策。良策だった4-4-2、ライン間で浮遊したイスコ【西部の4-4-2戦術アナライズ】

2日、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝1stレグが行われ、レアル・マドリーがアトレティコ・マドリーを相手に3-0で勝利。この快勝劇の裏側には、堅守を誇るアトレティコに対する万全の対策があった。『サッカー 4-4-2戦術クロニクル 守備陣形の復興と進化』(カンゼン)を上梓した著者が、ジダン率いるチームの戦略を読み解く。(文:西部謙司)

マドリー・ダービーでグリーズマンが決めたゴールは見事だったが…

アトレティコが直面する課題。ダービーとCLで見えた盾型チームの現在地【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。15/16シーズンのCL決勝では攻撃力不足という問題にぶち当たったアトレティコだが、その課題は解決できているだろうか。『サッカー 4-4-2戦術クロニクル 守備陣形の復興と進化』(カンゼン)を上梓した著者が、シメオネ率いるチームの現在地を読み解く。(文:西部謙司)

年間40ゴールもとれるクリスティアーノ・ロナウド(右)とメッシ(左)

レアルとバルサが採用、4-4-2という解決策。ロナウド・メッシの破壊力を最大化する守備陣形【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。4-3-3のイメージが強いレアル・マドリー、バルセロナの二大巨頭もこのシステムを部分的に採用している。このたび『サッカー 4-4-2戦術クロニクル 守備陣形の復興と進化』(カンゼン/12月21日発売)を上梓した著者が、レアルとバルサ、両クラブの4-4-2による戦いぶりを読み解く。(文:西部謙司)

柴崎岳 クリスティアーノ・ロナウド

レアル戦でも「いつも通り」の鹿島。“白い巨人”に奢り見えるも、追い込んだのはその実力【西部の4-4-2戦術アナライズ】

18日、クラブW杯の決勝が行われ、一時は鹿島アントラーズにリードを許すも、逆転でレアル・マドリーが勝利した。欧州王者に隙があったのは確かだが、鹿島に地力があったからこそ彼らを追い込むことができた。このたび『サッカー 4-4-2戦術クロニクル 守備陣形の復興と進化』(カンゼン/12月21日発売)を上梓した著者が、このファイナルにおける両クラブの戦いぶりを読み解く。(文:西部謙司)

日本代表を率いるヴァイッド・ハリルホジッチ監督【写真:Getty Images】

ハリルJの方向転換。「日本化」から再び「世界標準化」へ。予選で必要になったW杯仕様【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。ハビエル・アギーレ監督の退任を受けて日本代表を率いることになったヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、4-4-2の変形システムである4-2-3-1システムを採用している。長らく続いていた「日本化」の流れからは舵を切り、アジア予選でも守備重視の戦いを見せるようになってきた。(文:西部謙司)

ブラジルワールドカップ後、日本代表監督に就任したハビエル・アギーレ氏

適任だったアギーレ。「自分たちのサッカー」からの軌道修正。“代表らしい”チーム作り【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。ザッケローニ監督時代はその変形システムである4-2-3-1をベースにチームを作っていった。ザックジャパンが苦杯をなめさせられたブラジルW杯後、日本代表監督に就任したハビエル・アギーレ監督は、4-3-3でのチーム作りを進めたが、それまでの遺産を引き継ぎつつ新たな要素を加えることに成功していた。当時のサッカーを改めて振り返る。(文:西部謙司)

ザックジャパンの中心選手だった本田圭佑(左)と遠藤保仁(右)

ザックJ、最後に挫折した「日本化」。「自分たちのサッカー」の致命的な弱点【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だが、ザッケローニ監督時代は3-4-3をオプションとして備えながらも、4-4-2の変形システムである4-2-3-1をベースにチームを作っていった。オシム時代より続く「日本化」の方針にも継続性があったが、致命的な弱点を抱えたままW杯に臨むことになる。(文:西部謙司)

2010年から2014年まで日本代表監督を務めたアルベルト・ザッケローニ氏

「日本化」の集大成となったザックJ。岡田Jからの昇華。W杯を勝ち抜くこととの乖離【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だが、ザッケローニ監督時代は3-4-3をオプションとして備えながらも、4-4-2の変形システムである4-2-3-1をベースにチームを作っていった。オシム時代より続く「日本化」の方針にも継続性があったが、W杯では厳しい現実を突きつけられることとなる。(文:西部謙司)

2010年南アフリカW杯で日本代表を率いた岡田武史

岡田Jが土壇場の方向転換で得たW杯16強。弱点の露呈。成果を問えなかった「日本化」【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だが、脳梗塞で倒れたイビツァ・オシム氏から日本代表監督を引き継いだ岡田武史監督は、4-4-2の変形システムである4-2-3-1をベースにチームを作っていった。「日本化」の方針も継続することになったが、W杯本大会直前に方向転換を強いられることとなる。(文:西部謙司)

イビツァ・オシム監督の後任として日本代表監督に就任した岡田武史氏

岡田Jが進めた“脱オシム路線”。ポゼッション+プレッシング。無理のない“日本化”【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だが、脳梗塞で倒れたイビツァ・オシム氏から日本代表監督を引き継いだ岡田武史監督は、4-4-2の変形システムである4-2-3-1をベースにチームを作っていった。そして岡田ジャパンは、オシムジャパンとは異なる路線で「日本化」の道を歩んでいくことになる。(文:西部謙司)

2006年から2007年まで日本代表監督を務めたイビツァ・オシム監督

オシムJ、「日本化」の枠を超えていた野心。格上の相手をも圧倒しうる、リスク冒す戦い【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。オシム監督時代の日本代表は、相手に合わせて3バックと4バックを併用していたが、2007年のアジアカップには4バックで臨んだ。当時話題になった「日本サッカーの“日本化”」とはどのようなものだったのか。オシムジャパンのサッカーを振り返る。(文:西部謙司)

2006年、日本代表監督に就任したイビツァ・オシム氏

オシムJの戦術的先進性。「日本サッカーの日本化」。可変システムとアジア仕様の使い分け【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。オシム監督時代の日本代表は、相手に合わせて3バックと4バックを併用していたが、2007年のアジアカップには4バックで臨んだ。当時の戦い方を振り返る。(文:西部謙司)

ジーコ監督(当時)は個の能力を信頼し、戦術的な縛りを最小限にとどめていた

ジーコJ、「序列主義」がもたらした弊害。「海外組」と「国内組」の分化。実力主義の破綻【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だがジーコ監督が率いた日本代表は、3-5-2との併用でありながらも、ボックス型の4-4-2をベースとしていた。ドイツW杯で良い結果を得られなかったジーコジャパンは何が問題だったのだろうか。当時の戦い方を振り返る。(文:西部謙司)

ジーコ監督が率いた時代は攻撃的MFの人材が豊富だった

ジーコJのブラジル式4-4-2。“進歩しない”代表。フラットラインの破棄と1人余る守備【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だがジーコ監督が率いた日本代表は、3-5-2との併用でありながらも、ボックス型の4-4-2をベースとしていた。ドイツW杯から10年を経た今、当時の戦い方を振り返る。(文・西部謙司)

2002年W杯、ロシア戦のスターティングメンバー。日本の同大会初勝利を勝ち取った

土壇場で遅れを取り戻した「フラット3」。トルシエが築いた土台。潮流に合った戦術変更【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だが、トルシエ監督が日本代表を率いた時代の戦術「フラット・スリー」は、ミランで勃興した4-4-2戦術の流れを汲んでいた。2002年日韓ワールドカップでは、同戦術のマイナーチェンジにより、日本はベスト16進出を果たしている。(文:西部謙司)

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